過去は過去形
残念ながら無念のDNSとなった別大ですが。
多くの仲間が走っている頃私もリハビリラン。幸いなことにゆっくり走る分には脚の問題はなく、呼吸器の調子がいまいちだけど、そのうち回復するでしょう。
土曜もですけど、日曜はさらに不整地を走る時間を多く取りました。
どこへ行っても舗装路だらけの東京ですが、公園内にはたっくさんの草地や土。
舗装路のすぐ脇を走るだけで脚にやさしい不整地ランです。いくら走っても負担があまりかからず、でもバランスは鍛えられます。
都心にも探せばいくらでもありますよ。
北の丸公園にはプチトレイル、代々木公園には不整地でなおかつアップダウン、週末のロングは時計を外して思うままこういうところを走るのも楽しいですよね。
と、ちょっと以前から気になっていたことを・・・。
ここ最近、別々の50代ランナーの方々と話してて思ったこと。
それは「過去の自分」とか「今までやってきた練習方法」にとらわれ過ぎてないだろうかってこと。
前はこういう練習していたらこういうタイムが出た、前は故障してもこのくらい休めばまた普通に走れてた、フルなんて補給しなくても水だけで走れてた、などなど。
でもこれ・・・全部「過去形」ですよね。
いろんな経験値はレースでの対応やメンタルの強さにも結び付くけれど、逆に首も絞めていないだろうかと。
「過去」が素晴らしければ素晴らしいほど、その時の数字やイメージなら抜け出せないのでは。
スポーツしているからといって、健康に気を付けているからって加齢は避けられないです。
徹夜で遊んでも翌日けろっと仕事していた頃と違うのは自覚していても(笑)また同じように練習していれば同じように走れると思うのは違うんじゃないかなあ・・・。
が、加齢を言い訳にするのも違いますよね。やり方を工夫したり、強度を変えたり、リカバリー考えたり・・・。
「現在」どうしたらいいのか、を試行錯誤していかないと、と思います。もちろん私もその1人!(ただし輝かしい過去はありません・・・)
ちまたにあふれるランニング本、ランニング雑誌に連載している練習法、あれもどういう年代の人を対象にしているか、よーく考えて冷静に読んだ方がいいんじゃないかと思います(笑)。
私は女性なので最初から当てはまらないと思って読みますが、(対象はほぼ男性向けでしょうね)今30代前半の市民アスリートがやってる方法を、アラフィフなランナーがやったらどうなるか・・・ですもんね。まあ問題ない人もいそうですけど(笑)。
そういう意味じゃウルトラはマニュアルなんてないから(爆)違う意味で気がラクなのかもー♪
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