形見のメダル
おっと気づいたら10月もとっくに後半戦。
今週もいろんなことがあり・・・先月に続いて悲しさやらむなしさやらを感じ。
今年はまったくなんて年だ!と思ったり。
今まで祖父母を始め、いろいろな死を見てきましたが、ほとんどが私より年長で遠い先のこととしてしかとらえていませんでした。
このところ続く同世代の死。もちろん一般的にはまだまだ早いわけだけど、いろいろな意味でのメッセージを遺してくれたんじゃないかと思います。
「よく生きる」ってなんなんだろうな、って。
来月に入れてしまったフルマラソンのために、付け焼刃として週末ロングやったり皇居をぐるぐるしたりしてますが、どうにもこうにも調子が上がらず。
100㌔走れても、ちゃんとしたペースで42.195㌔を走りぬくことがきでるかは別問題。
辛いなあ・・・・やめたいなあ・・・とネガティブな気持ちになりながら練習しつつ。
でもそういう「やらされてる感」でやっててもたぶん身にはならない。
そもそもなぜそういう練習してるんだっけ??
思い起こせば、やっとの思いで250㌔完走した時も、力がないがゆえにトラブルで関門アウトになった時も、「走力が足りない!!底力がないと超ウルトラって走れない!」と思い知ったから。
尊敬するウルトラランナーたちも、それをわかっていてちゃんとフルのレースも走ってる。
だからやろうと思ったはずなのに。
病と闘いながら仲間が走る姿をずっと応援していた彼はどう思っていたのだろう。
遅くても今はとりあえず走れてる自分は、弱音を吐いてる場合じゃないんだよね、本当は。
彼の形見の完走メダルを見ながら反省しました。
うん、私なりにやるよ。
さて、明日はメンテナンスだ。
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